岸田繁 交響曲第一番のはなし
「ワルツを踊れ」の頃からくるりを好きになって、気がついたらちょうど10年経って、くるり20周年、豪雨の音博10年目、岸田さん40歳、京都市交響楽団60年、NHK文化センター京都30年、(自分も三十路)っていう冬の日に、岸田繁さんの交響曲一番の初演をロームシアター京都に聴きにいった。
岸田さん交響曲第1番初演です。いよいよ!! #岸田繁 #くるり
5月に、岸田さんが交響曲を作ってることを知ったときには驚きと戸惑いを隠せなくてぞわぞわしたと同時に、10年前くるりを聴き始めた頃に感じた「ロックバンドがウィーンでレコーディングして弦楽器も管楽器も鳴ってる曲をやってる・・・なんだこれは・・・」っていうわくわくな気持ちと似たものが湧いて出てきて、小躍りしたくなった。大好きなミュージシャンがはじめる新しい何かほど、楽しみなものはないのであった。
(今年は特にアマオケの本番や弦楽四重奏の練習も多かったし、変わらずフジロックに出かけたりBlueNoteでニヤニヤしたり諸々のライブに行ったりと例年以上にどっぷり音楽をしていたので余計・・・)
まだ全て完成してませんが、自分の今までの音楽人生の全てを注ぎ込んだ作品になるでしょう。 https://t.co/YnW2Y58lGY
— 岸田繁 shigeru kishida (@Kishida_Qrl) 2016年5月16日
それから、指揮者の広上淳一先生は、NHKで放送した『心を鍛える音楽道場 ~指揮者・広上淳一と弟子たち~』という番組を何度も繰り返し観ていて、一度指揮を見てみたいという気持ちがずっとあったので大変うれしく、どきどきした。
んで12月4日午後。お天気がちょっと崩れてきて雨。でも冬にしては暖かった。
先に音源化された『管弦楽のためのシチリア風舞曲』を買ってほくそ笑んで、クロークに荷物を預けてうろうろ。ロームシアターは初めてきたのだけど赤い座席が印象的で上の階までとてもよく見えた。座席は1階の20番台の列中央で見晴らし万全。双眼鏡もしゅぱっと準備。
パンフレットに今回のスコアリングとオーケストレーションに携わった三浦秀秋さんによるプログラムノートが載っていたので何度も読み込んだ。心の準備というか、クラシックの曲は何も知らずに聴くよりも、背景を知って聴く方がずっと楽しいと思っているので、その実践というか(落語然り)。
16時ちょっとすぎ。団員が入場し、照明が落ち、チューニングが終わってひと呼吸。広上先生の入場に拍手が沸き上がる。ぱちぱちぱち・・・・・・・・・
ふぁっっ!?!? だれwwww
と思わず声がでた。会場が少しざわざわする。
広上先生と一緒にひょろったした人が入ってきたのだが、それは岸田さん本人だったわけで、何がどうって、スーツに白シャツにお坊ちゃん刈りでいらっしゃったのである。かわゆい。かわゆいぞ。きっと昔京響を聴きにきてはったころもおすましさんでいたんだろうかとやや妄想。そして緊張されているのかちょっと引きつっているような、ニヤニヤしているような表情で舞台を歩き、1stバイオリンのラストプルトのさらに後ろの高い椅子(置いてあるの気づかなかった)に腰掛ける岸田さん。スコアをめくり、嬉しそうな愛おしそうなお顔で眺めてらした。タクトダウン。
第1部:岸田繁 Quruliの主題による狂詩曲
編成:
Fl2, Ob1, Cl1, Fg1,Hr2, Tp1, Tb1, Tub1, 弦5部, ピアニカ1,唄1
↑当日これかなと思ったやつ(わからなかった部分あり)
2[1,2/p]111,2111,1Perc(Tambn), Str.(10-8-6-4-2)
↑翌日(12/5)のNHK講座配付資料より
くるりの曲のいろんなフレーズがぴょこぴょこ現れてはこんにちは、って言ってるような、かわいらしい曲だった。
I 幻想曲
田舎っぽい風景やら、風、緑が思い浮かんだ。ちょっと茶畑に近いかも知れぬ・・・弦管が代わる代わる演奏してゆく中に知ってる曲達が。あ、いま「ハローもグッバイも」っていった(ワンダーフォーゲル)とか、「安心な僕ら」って鳴った(ばらの花)とか、小さな発見が散りばめられていた。
Ⅱ 名もなき作曲家の少年
もしかしてこれかな、と思った通り、『ブレーメン』をモチーフにしたもの。Now and 弦で聴いたバンドと弦のアレンジとは異なり、管弦楽曲としてとまっている印象だった。弦楽ソロによる終わりが素敵で、四重奏で弾いてみたいと思った。
Ⅲ 無垢な軍隊
低弦からはじまるリズムに乗って『ARMY』の旋律が悲しげに始まった。らららクラシックのビオラ特集で「ビオラは人の声に近い」と語られていた場面が脳内で反芻される。トランペットの旋律が流れるたびに、岸田さんトランペット好きだな、とニヤニヤした。
Ⅳ 京都音楽博覧会のためのカヴァティーナ
音博といえばこの曲であろう 『宿はなし』。広上先生の渋いピアニカ(流しで演奏してるひとみたいだった笑)に続いて岸田さんの唄ソロ。今年の音博が豪雨だったこと、今までの音博で快晴に麦酒してよい音楽を聴いてごろごろしたこと、機関車の汽笛が聞こえたこと。たくさん思い出してちょっとばかし泣いてしまった。
知ってるくるりの曲たちが、五線譜に並んでる嬉しさと聞こえてくる和音の心地よさに鳥肌がたった。お尻の方から背中にかけてぞわっとするかんじ。それから、打楽器がなかったかもしれないことに終わってから気づいたどうだったんだろう。思い出せない。(→翌日タンバリンが第3曲にあったことを知る)
第2部:岸田繁 交響曲第一番
編成:
Fl3, Pic1, Ob2, EHr.1,Cl2,BCl1, Fg1, CFg1, Hr4, Tp3, Tb3, Tub1, Timp1, シンバル1, 木琴, 鐘, 弦5部, ピアニカ1,唄1
↑当日これかなと思ったやつ(わからなかった部分あり)
3[1.2.3/p]3[1.2.e]3[1.2.c],4331,Tmp+3, Str.(14-12-10-8-6),Perc(Cym, S.Cym, Tri, Cast, Sd, Xylo, Tub.Bells)
↑翌日(12/5)のNHK講座配付資料より
休憩中も三浦さんの解説を何度も読んでいよいよ交響曲。ここからは全く知らない音楽が始まる緊張感。チューニングが終わって、ライトが落ちて、客席前列に岸田さんが現れた。広上先生がニコッとする。タクトダウン。
で、第1部は知ってる曲が散りばめられていたこともあって、かなり詳細なところまで聴けたし休憩時間でメモれた(かも)と思っていたことが、交響曲では全くできなかった次第である。ぐぬぬぬ。
ぽんっと1楽章が始まったら、DとAでまるでチューニングをしてるかのような五度の音形がでてきて、長い長い物語が展開されていった。正直申し上げて記憶がついてゆかない。マーラーぽいような、どこか民族臭のあるような、それでいて、ちょっぴり歌謡曲というか日本的な響きなような、不思議な不思議な50分。「"度肝を抜く展開"ってこれかしら」とか「いまここの主題なのね」とふむふむ頷きつつも、どんどん音符が溢れてゆくがために、追いつきたいのに、ちょっと置いていかれるイメージ(あれ?ばらの花の歌詞?)。
ティンパニが印象的にどどどどんとなったかと思えば、木琴がコロコロ転がって、弦楽器の厚みが増して、木管楽器は柔らかく歌い、金管が高らかに鳴り響く。2ndバイオリン弾きとしては内声がメロディーやってるところにおおってなる。哀しげな旋律にぎゅうっとなる場面も、お尻の底から背中にかけて鳥肌がぶわっと出てくる場面も、何度も出てきた。
あぁ、オーケストラがとっても鳴っていてるな、と思った。いつも聴いているクラシックは調性も曲の展開も知った曲、要は録音で聴けるとか、弾いたことがある曲だったりすることが多いのだけど、目の前で鳴っている音楽は、裸ん坊でむき出しのつるつるで繊細な新しい何かだった。それでいてどこか懐かしい気もするもの。それをオーケストラの楽器・パートが一つ一つがくっついたり、離れたり、調和したり、ぶつかったりしながら展開していく。さっぱりわからない現代音楽とも違う。わかりそうだけど一度ではとてもわかりそうにないもどかしさも同居しながら曲が続いていく。
広上先生の大きな2拍子、くるくるってなるタクトにオーケストラの音が凝集されてゆき、最後の一音。そこから拍手が沸き上がるまでのほんの一瞬がたまらなく愛しかった。大きな声をだす勇気がでなかったけど、ぶらぼぅ、とつぶやいた。
アンコール1:岸田繁 管弦楽のためのシチリア風舞曲
アンコール2:宿はなし(うた:岸田繁)
演奏が終わった瞬間の京響のみなさんは、とても充実した表情をされていて、奏者としてもとても楽しかったんだなぁと感じた。階段が取り付けられて、岸田さんが舞台に上がってくる。なんという嬉しそうなお顔。カーテンコールを経て、広上先生と岸田さんがちょっとおしゃべりして、アンコール。
くるり電波でも流れていた『管弦楽のためのシチリア風舞曲』。何度か聴いていたからか音符が思い浮かぶ。やわらかい。ゆったりと流れるような踊りの曲。これも弾きたいと思った。そして、宿はなし。再び広上先生のピアニカに始まり、岸田さんが歌う。しっとり。たっぷり。
最後はスタンディングオベーション。立つしかないと思って立った。音博でも「ええお客さん」って言ってくださることが多いけど、この交響曲の初演にきていたお客さんの雰囲気もとてもよかった。クラシックのコンサートに比べたらおじいちゃんおばあちゃんはずっと少なかったし、クラシックをちゃんと聴くのが初めての方も多そうだったし、曲が終わったあとの拍手が少しあどけないかんじで、指揮者と作曲者が引っ込む前に拍手が鳴り止みそうになった場面もあったけど、初演の空間に立ち会えた喜びや、くるりの音楽、岸田さんの音楽好きだぜっという雰囲気が溢れていたのだった。
クラシックもロックもポップもなんだか繋がってる。くるりが好きでよかったなぁ。オーケストラを続けてこれてよかったなぁ。嬉しいなぁ。
そんな事を思いつつ雨天の紅葉を拝んで、麦酒を引っかけて、帰途。
岸田繁交響曲第一番の初演終わった。お尻から背中まで鳥肌立って全然全然消化しきれないよ!!!岸田さんはさいこうにうれしそうで、広上先生は魔法使いみたいで、京響の音は柔らかかった。
— Z X (@zxiaodk) 2016年12月4日
んで直後の感想はこんな感じで、くるりを好きでよかったのは確かなのだけど、「交響曲初演の感想」がしばらく経っても全然思い浮かばなかった。知らない曲(しかも交響曲)を聴くのがおそらく初めてだったからなのか、語彙がなさすぎるのか、全然わからないけど言葉にできなかった。
岸田繁交響曲第一番についての感想を聞かれて、どうしても相応しい語彙が見つからなくて「長かった」と言ってしまったのです。二度も。
— Z X (@zxiaodk) 2016年12月5日
そのまま感想を尋ねられたものだから「長かった」と二度も言ってしまった。一度目は激レアIPAを出してくれた麦酒屋で尋ねられ、二度目は翌日のNHK講座(このことは後日書く)で京響マネージャーの柴田さんに尋ねられ。
言ってしまってから「長い」は良くない感想なのだろうかと考えはじめ、やっぱりなんか違う、と帰りの新幹線でずっとぐるぐるしていた。結果、ひとつひとつの音を捕まえたくて、ずっと感じたいのに、それをやってるとあっという間に次のフレーズに行ってしまうため、追いつかない、置いていかれる距離がどんどん長くなっていく意味で長かったのかもしれない、などと再考。でもまだわかってないよ〜ぐるぐる。
既知の管弦楽曲は、どのパートが歌い、対旋律がどう奏でられるか予測がつくけど、未知の曲はやっぱりまだなんだかわからない部分の方が圧倒的に多い。だからこそまだ聴いていたい、ひいてはもう一度聴きたいし譜面づらを見たいと思った。それから、奏者として岸田繁交響曲を弾きたいと思ったのでした。
— Z X (@zxiaodk) 2016年12月5日
最終的にここに落ち着いた深夜。
岸田さんは作曲にMIDIを使っていると言っていたけど、よくよく考えてみたら奏者としては自分は五線譜を見て演奏することが圧倒的に多いし(コードは細かい所まではわからないし即興演奏はできない・・・)、曲をきいたら音符が思い浮かんでしまう質なのもあり、交響曲一番の譜面をみたいという気持ちがもくもくと出てきている。譜面を追いながらもう一度聴いたらどんな気持ちになるんだろう。わくわくするだろうなぁ。
そして、50分を超えるおっきなおっきな子ども(交響曲)を産みおとした岸田さんはミュージシャンとして、作曲家としてものすごい。なんでこんな大曲を作れちゃうの、岸田さんの頭の中にはなんていろんな音楽がたくさん詰まってるのだろう、とびっくりするばかり。くるりの曲にも毎回びっくりしてるけど、交響曲にはこの先も繰り返して聴く度に、びっくりも発見も重なってゆく気がする。
京都に京都市交響楽団があって良かった。広上淳一先生がいて良かった。素晴らしいお客さんが沢山いて良かった。
— 岸田繁 shigeru kishida (@Kishida_Qrl) 2016年12月4日
京都にまたゆけてよかったし、くるりを好きでよかったし、音楽をしていてよかった。
あしたも音楽をします。はよ寝よ。